2009年10月18日

2009年10月配信分 「型」と「個性」




大阪駅改札を抜ける。

阪急電車に乗り換えるのに人混みの構内を歩く。

当然の事ながら、

構内を歩くのに規則は無い。

縦、横、斜め、ジグザグ・・・

思い思いに歩く人達。

歩きにくい。

空いているスペースを見つけては、

歩こうとするが、突然現れた人にぶつかりそうになる。

見方を変えれば、

僕もその中の一人。

悪気はないが、無意識に誰かの邪魔をしているのだろう。


「自由」

を形にすればこんなことではないだろうか。

誰もかれもが、「自由」を主張する日常。

しかし、

「自由」とは

「何でもOK」

と言う意味ではない。

必ずルールが存在し、

その上での「自由」であらねばならない。

少なからず、

日本人は「自由」の使い方が下手なように感じられる。

と言うのも、

万葉の時代より、この国には必ず「型」と言うものが存在する。

武術、芸術、音楽、茶道、華道、書道・・・など。

先ずは「型」の習得から始まる。

しかし、

それだけではいけない。

「型」を習得した上で、さらに「オリジナリティ」が必要なのだ。

確か音楽家の故・斎藤秀雄さんの言葉にこんなことがあったと思う。


「先ず、型に入りなさい。そして、その後、そこから抜け出しなさい。」


簡単な言葉だが、奥深い。

「型」に入ることは簡単なことだ。

他人と同じことをすれば良い。

しかし、

抜け出すのは難しい。

「型」が無意識で出来るようになった上で、

さらに

知恵と発想で習得した「型」を応用して行かねばならない。

他人と同じでは意味が無いし、めちゃくちゃではお話にならない。

「自由」とは、

「確かな基礎」の上に作られた心地良い発想ではないだろうか。


いまの義務教育はどうだろう。

「型」と「個性」の主張に、どちらつかずの状態に思える。


中には個性豊かな人もいて、しかも基礎もしっかりしている方もたくさんいる。

しかし、

本来、日本人は下手なのだ。

体裁を気にするための「個性」を主張しても、いざと言うときには頼りない。

休日が多ければ、何をして良いかわからない。

決められたマニュアルを捜すハメになる。


つまり

日本人にとって「型」とは、

個人に合った「個性」を最大限に活かすための

無数のバリエーションの集大成なのではないだろうか。




posted by DO ART !! エッセイ集 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 坂本のサルサ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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