2012年03月18日

2012年3月配信分 「物」が無くなれば・・・




休日になれば、昼から薪(まき)を割り、

夕方からその薪で風呂を沸かす。

それが子供の頃から馴れ親しんだこと。

しかし、

それもいまではボタン一つで風呂が沸く。

「物」が無くなればそれに付随する「言葉」も無くなる。

先日新聞でこんな言葉を見かけた。



「火に薪をくべる」

この「くべる」と言う言葉。

確かに、

釜戸が無くなり、風呂が薪からガスに変わると、

我が家でもこの言葉は使うことがない。

全てボタン一つ、指一本で事足りる。



実際、家の中で「火」を使うのはガスコンロくらいだろうか。

しかし最近は、IHが普及をし、

いよいよ一般家庭から「火」と言うより「炎」が無くなっていっている。



人間は古代より「火」を神と崇める一方、

巧に使い、生活に取り入れてきた。

光源や熱源として。

瞬時に点火するマッチやライターが無い時代は、

炭火と言う形で、灰の中に「火」を保存した。

そして、必要とあればそこから火種を取出し炎にした。



「火種から炎にする」といった、昔では当たり前の作業も、

それが出来る人は、現代では少ないのではないだろうか。

火種を新聞紙や枯れ葉に点けるだけで簡単に薪が燃えるわけではない。

そこにはかなりのノウハウが必要なのだ。

薪は松に限る。

松ともなれば火力が強く、2〜4本で風呂が沸く。

薪の端部からブツブツと出る松脂(まつやに)の香りが良い。



薪風呂、たき火など、

火が扱えるのは当たり前だが人間だけである。

人間はマッチやライターで火を自由自在に操り、

さらに工夫を重ね、

火を使わずに光源や熱源を確保した。

そのため、

人間しか扱えないはずの火を、

扱える人間が少なくなってきたのだ。

火の恐さを忘れ、安易に扱えば、

火は牙を剥いて襲いかかる。

いや、

火の恐さを忘れたのではなく、

最初から知らないのかも知れない。



「便利さ」

とは、何千年もの間、積み重ねられた「知恵」や「言葉」の数々を、

一瞬にして「無知」に引き戻し、綺麗さっぱり拭い去ってしまう物かも知れない。




posted by DO ART !! エッセイ集 at 00:00| Comment(0) | 坂本のサルサ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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